続きましては、91年6月の「スペル・エストレージャ91」この大会ではEMLLからの参戦もあり尚且つ特別レフェリーとしてウェルター級最強の男、カルロフ・ラガルテ氏が来日とこれまた盛りだくさんでした。
テクニコ
ペロ・アグアヨ
ブラックマン
ブラックマンII
ケンドー
マルリン
スペル・デルフィン(最終的にルード)
ルード
ブラソ・デ・オロ
ブラソ・デ・プラタ
エル・ブラソ
ランボー
クチージョ
ドクトル・ワグナーJr.
ピラタ・モルガン
ベスティア・サルバヘ
このシリーズも後楽園3回あり、確か全て観に行ったはずです。グラン・エストレージャからするとかなりメンバーが減りましたが、それでもスペル・エストレージャに相応しいメンバーの襲来です。中でも私的には死の三角形のメンバー、ランボー、クチージョの揃い踏みは感極まる物がありました。(クチージョは90年6月に一度見てます)当時それ程死の三角形に入れ込んでは居ませんでしたが、今現在の私は死の三角形フェチですから(笑)この二人の来日を観れたのはやはり貴重な時間だったと思います。ルチャマニアならわかると思いますが、ランボーとクチージョ実は同じトリオチームで有りながら、前期メンバーと後期メンバーなんで正式にはあまりトリオは組んでないと思われます。クチージョの素行不良が原因でチームを追い出され後釜にランボーが入ったんですよね(^◇^;)
さてそんなクチージョですが、開幕戦では確かローリン製の緑ラメチャック式毛無を被っていたのですが、浜田さんに真っ二つに破かれてました(笑)凄く綺麗なマスクだったのでもったいなかったですねσ(^_^;)確かその破けたマスクは当時まだカフェだったアメリカンにあったと記憶してます。試合後西の通路にあるゴミ箱を蹴っ飛ばしたりご乱心でした。足大丈夫なのか?当時まだ16歳の私は心配になりました(笑)その後最終戦まで素顔でやっていたはずです。メヒコではイホ・サントにマスク取られてましたからね(^◇^;)
ランボーは残念ながら最初から素顔でした。入場の際は毒ガスマスクみたいなのを被ってました。ランボーもビジャノ・テルセロにマスクを取られてるから仕方ないですね。試合は受けて良し誤爆良し(笑)素晴らしかったです。
他にも見所満載でした。ブラックマンがブラックマンII(のちにFULLでおかまキャラインコグニトとして来日AAAのクルエボが息子)を従えての来日、二人共口開きマスクで試合してました。確か本家がケンドー製、IIがフリアだった気がします。プライベートでは、本家がチャイナドレスみたいな生地の今井製を被ってました。二人とも素早い身のこなしだったのですが、エル・ブラソがコーナー付近で本家をパサーダであげて逆立ちの補助をしたんですが失敗(T_T)しかし本家が失敗したのを帳消しにするかのようにIIが綺麗な倒立をしてくれました(笑)本家の逆立ちが見れなかったのは残念でしたね(^◇^;)
対戦相手がブラソスだったから良かったのかもしれませんね。
EMLLから参加のピラタ・モルガン、ベスティア・サルバヘも存在感ありましたね。ピラタは派手さは無いものの威圧感存在感は半端なく凄かったです。試合後恐る恐るサインをお願いしたら気軽にしてくれました(笑)ベスティアはネグロ・カサスが新日に行ってしまった浅井さんの新たなライバルとしていい試合してました。しかしその後ユニバーサルには来日しませんでしたね。しかも何年か前に若くしてこの世を去ってしまい誠に残念です。
ワグナーJr.はまだ派手さもアピールもなく地味な存在でしたが、技のキレはピカイチでしたね。その数年後新日であんなに爆発的存在になるとは当時思いもしませんでした。
今シリーズの目玉は最終戦に行われたUWA世界タッグのタイトルマッチでした、最強王者チームブラソスに対し背水の陣で挑む挑戦者チームグラン・浜田&ペロ・アグアヨ、異例のカベジェラ・コントラ・カンペオナートとして行われました。試合を裁くのはウェルター級最強カルロフ・ラガルデ氏。厳密なレフェリングでした(^◇^;)試合は一進一退、最後は浜田さんがオロを下して王座奪取!最強チーム陥落でまさかの出来事が…試合後長兄オロがマイクを取り、そして3兄弟揃ってマスクを脱ぎました。会場からは驚きと響めきが入りまじり、浜田さんも男泣きしてました。感動のフィナーレを迎えシリーズは終了…メキシコでは88年にマスク取られてるんですけどね(^◇^;)日本向けにユニバーサルが考えた素晴らしい演出だったと思います。
最後にこのシリーズで絶対触れなきゃいけない事があります(笑)スペル・デルフィンの存在です。今では皆さんが知ってるレスラーですが、当時はアカプルコ出身という事で初来日。宣材写真はケンドー製のマスクにコスチューム、いかにもメキシカンのように見せてました。実際試合を見た時はまだ新人なんだなと分かりました。派手さもなくアピールもぎこちなくあまりパッとしませんでした。一緒に来た若手のマルリンの方が動きは良かったです(^◇^;)試合後写真やサインは貰えましたが一言も喋らず近くには関係者が常にいたように感じました。シリーズ中の大阪(確か高槻だったような気がします間違えていたらすみません)で突如パートナーの浅井さんに牙を剥き椅子で攻撃してまさかのルードターン、最終戦でデルフィンがベスティア・サルバヘと組み、浅井&ケンドー(マルリンだったかもしれません、お分かりの方ご教示ください)と対戦試合はデルフィンと浅井がエキサイト!試合中またもや椅子で攻撃、椅子にツームストンなど反則三昧、客席からブーイングや野次が飛び交うユニバーサルにして珍しい光景…試合後マイクを持つ浅井、カベジェラ・コントラ・マスカラだ!と。そこで急遽次期シリーズ9月のファンタティスコ・セプテンブレにデルフィンを参加させてカベジェラ・コントラ・マスカラ決定!これは次期シリーズも行かなければと思いました。しかしまさかの事態が…続く(笑)
ここまで長々とお読みいただきありがとうございます。私のうる覚えなところも多々ありますし、読みにくい部分も多々あると思います。こんな私の戯言を読んで当時を思い出して頂けたら幸いです。また、間違いなどご指摘ありましたら、ご教示ください。よろしくお願いします。
オマケ。このシリーズからケンドーが通常カラー(白×黒、白×赤)以外に色んなカラーを持参しました。銀ラメ×緑ラメ、銀ラメ×青ラメ、黒ラメ×赤ラメなどカラフルになりました。あとケンドーお手製ケンドートレーナー、Tシャツ、バギーパンツなども売店にて販売してました。ブラソスのマスクなどもありましたね。値段も手頃で気軽にサインも入れてくれたすごくいい時代でした。
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