フェイスブックにて、テルレンカジャージの破れた”ティニエブラス”のボロボロの
ロペス製のマスクが投稿されてました。
その投稿のコメント欄について。
今と昔のマスクの価値の違い、機能性志向主義の現代へのアンチテーゼとも
言える考察が面白いと思ったので紹介します。
(写真のマスクを見て)
この写真を見て気に入っているのは、マスクが本来あるべき姿があるということ。
つまり、衣装道具であると表している事です。
私が思うに、この時代の製造方法がレスラーのマスクとしての仕事道具としての
正しい製造方法だったと思います。
今はビニールやキラキラしたものを使われているのが気になります。
正にそれこそが、今は失われてしまったがルチャリブレにおける
マスクの本質です。
それは精巧に作られた作業衣装であり、不安定な状況であればあるほど
その作業衣装に気を使わなければならなかった。
職人が作ったマスクにはそれなりの”価値”があったのですが、今はどんなマスクでもリングに立って試合をすれば成立する様になりました。
マスクとはレスラーの最も神聖なものです。
金額に関係なく剥ぎ取られる娼婦の下着と化しました。
今日日マスクはもはやレスラーの身元を隠す為に製造されたものではなく、
リングの歴史の事を重要視することなく、最もミステリアスな部分を表現するという事でもなく、お金を稼ごうという欲望を照らし出したスポットライトとなりました。
という、やり取りがありました。翻訳が難しく言いたい事を伝えられたかな?と不安になります。
昔は、マスクというものは神聖な舞台衣装で、そのマスクという本来の機能性を持たせるという事です。
一枚一枚大切に使用し、価値を見出していたのだと思います。
マスクメーカーも少なかった時代には生産性も乏しく、一枚のマスクをずっと使い続ける時代だったと思います。
そうせざるを得ない状況と時代もあったと思います。
現代はピカピカの素材な上に、職人さんが沢山います。デザイン性も大分変わりました。
昔の物が無い時代は物を大切に使うというのが当たり前でした。
今は飽和状態で使い捨てに近い状態です。
物の価値でいえば、やはり昔の方が高いように思います。
今の時代の風潮は良いのか悪いのかは置いといて、昔のマスクに対する考えは今とはまた
違ったのかなと思います。
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